この文献集は、今までに手にとったもので心に残ったというか、気になったものを勝手に取り上げています。ご参考までに。
ライトの住宅 自然 人間 建築 フランク・ロイド・ライト著 彰国社 1967
夏冬の熱さ、寒さは、時に体にこたえるものである。住まいの作り方を工夫することによって、「快適な熱さ、寒さ」いわば「涼しさ、暖かさ」として感じるのではないかと、模索を続けている。屋根のしっかりした断熱、棟付近からの換気を含め、住宅の壁と天井の構成、開口部の位置による気流や、日射のコントロール等々。様々な課題があるように思われる。以下は冬の床暖房と断熱についての引用であるが、逆に夏の対策にも共通の視点を持っていることは興味深い。
<しかし寒い気候の地域では、床暖房のための断熱を考慮した方がよい。もし床が重力暖房(温水配管による床暖房)により暖められていれば、壁の断熱はそれほど重要でなくなる。寒いときでも窓を開けたままにしておいて、しかも快適である。なぜならば足が暖かく、座っていても暖かいのだから……。この場合、天井の断熱が重要になってくる。熱は上に上がるが、もし天井が冷えていれば空気もそこで冷やされて降りてくる。こうしていくら暖めても室温は上がらない。天井の断熱がよく寒気を伝えられないようになっていれば、この重力暖房は他のいかなる暖房方式よりも経済的に家を暖められるのである。>
ライトは内部に形成力を備えた、自然本来の持つ有機的(オーガニック)な有り様を、建築に適用しようとしたことでつとに知られている。「ライトの住宅」は、この考え方を住宅に即し身近なところから説き起こしている。また「自然の家」ちくま学芸文庫 として、読みやすい新訳も最近出版された。
建築を愛しなさい ジオ・ポンティ著 美術出版社(絶版) 1962
イタリアにおける代表的建築家であるとともにデザイン界の理論的指導者といってよいG.ポンティの著作。その語り口は、親しみのあるもので、しかも幅広く人間社会を渉猟して精神世界の詩人ともいえるものである。雑誌ドムス(DOMUS)の編集者であり、ミラノのピレリィ・ビルが代表的な作品とされる。
<原始社会は完全なものでした。平等な住民は原始社会に属します。多様性-個人の独立性-は発達した文明の征服物なのです。そして文明の尺度です。全体的平等に誰が感嘆するでしょうか。>
<技術は集団的ですが、芸術は個人的なものです。そして偉大な個性的芸術家、天才はすべてその個性そのものの中ですでに集団的なのです。なぜならかれらは普遍的なものを表しているからです。>
<建築家は建物に耳を傾けるべきです。あるいは建物そのものに対する義務がかれらを建物の高度の存在にまでつれて行き、そこにかれらは命令を聞き、それを叶えようとするべきなのです。ある瞬間から建築家の側にはもはや創造の仕事はなく、闡明する直感があるだけだということを読者と建築の依頼者が知っておくのはよいことです。建物はもはや建築家の作品の発散物でなく、建築家の作品が建物の発散物なのです。>
これらの言葉は、物の創造にかかわるすべての人に対して、尽きせぬ示唆を与えてくれる。
住まいと文化 A.ラポポート著 大明堂 1987
住まいの形態はどのような要因によって決定されるのか。
ここでラポポートは社会文化的要因と自然環境、建築方法、材料、技術等の要因を挙げ、前者の要因が主な決定要因であり、後者の要因は修正要因にすぎず、そして社会文化的要素については、文化、エートス、世界観、国民性などであり、住まいの目的は、実用主義の概念をはるかに超え、人々の生活様式に最も適した空間の社会単位をつくり出すことであると述べている。
文化人類学者ラポポートの視点はわたしにとって、昨今の環境との共生という言葉も、自然環境との適応によって私たちの生活の方針が決まるという消極的意味にとどまらず、さらに人類の太古からの創造的進化といった観点より、文化、世界観などの実現への積極的な意志に基ずくものがさらに大切と気ずかされるのである。住まいを作るとは、「それだけ心しなければならないもの」なのであろう。
木に学べ 西岡常一著 小学館ライブラリー 1991
放言、それも珠玉の「宝言」の集積といったらよいであろうか。日本が世界に誇る法隆寺、「飛鳥の匠」の心を今に伝える宮大工、西岡棟梁の語った言葉の集大成である。
<わたしの薬師寺に対する考えは、東塔の上にある水煙にあります。天人が舞い降りてくる姿を描いてありますが、天の浄土をこの地上に移そうという考えですな。設計の基本の心構えはそれですわ。天の浄土をもう一遍再現するんやちゅうことです。>
薬師寺はもちろん仏教伽藍ではあるけれども、宮大工の心意気というものはこのへんにあるのではないか、ということに気ずかせられる。
現在、古代の精神を持った大工(おおいたくみ)は消え行きつつあるが、木造建築設計者の端くれとして、このようなわが国の伝統文化というものを忘れてはならないと思う。
人間のための街路 B.ルドフスキー著 鹿島出版会 1973
街路が自動車の進入によって、歩行者専用の空間でなくなった時、わたしたちは人間的な生活の楽しみをを奪い取られたのである。本来の都市の機能とは交流交易機能であった。近代を通じて都市は生産性の向上をめざす業務都市に変貌したといえる。その結果として街路は人間にとってオアシスから砂漠へと成り果てたのだといえよう。本来の街路とは特にイタリアの諸都市では、人々の生活のための舞台装置であるとともに、偉大な世界劇場でもあった。
<広場の人混みにはいると、周囲から千人分の話が聞こえてくる。 毎日聞こえてくる騒々しい叫び声は、朝市での商人たちの元気のよい売り声であったのだ。彼は何故人々がこのように大騒ぎをするのだろうかと自問し、そして答えを見付けた。それは楽しさだ—楽しさ以外の何ものでもない。>
これはナポリの広場のテラスに立ってある旅行者がもらした感想である。
さらに、ルドフスキーはイタリア、スペインなどのラテン系の都市とイギリス、アメリカなどのアングロサクソン系の都市を比較して後者には本来の都市の街路の楽しみは失われていると見ている。この理由はこの本を読んで確かめてください。この著者の「建築家なしの建築」SD選書、「脅威の工匠たち」鹿島出版会、などもよいです。
なお、「都市の住まいの二都物語 」王国社 のヴォージュ広場等の論考はたいへん示唆に富んでいます。
日本美の再発見 ブルーノ・タウト著 岩波新書 1939
タウトは近代建築様式の確立者でバウハウスの創立者でもあるグロピウスよりも3歳年上でほぼ同時代を生きた。バウハウスは知られるようにナチスによつて閉鎖されたのであるが、グロピウスがアメリカに逃れたのと同様に、タウトも祖国からの亡命途中に立ち寄った日本での滞在中に日本建築に出会ったのであった。桂離宮をはじめ、伊勢神宮、飛騨白川の農家、秋田の民家などの美をいわば再発見したのである。以来、この評論は日本文化の深奥に達しているとも評される。
<装飾—それもおおむね仏教的な装飾をもって建築の欠除を補おうとするところに、また建築家が単なる使用人として、命じられた様式を設計せねばならぬところに—日光廟がある。 これに反して要素が清浄なところ、新しい問題が真摯な心構えで解決せられるところ、建築家にこうすることの自由が与えられるところ、建築家が自分の能力によって世に認められるところ、建築家がその精神的労作によって現代の「大名」になりえる希望の開けるところ、—ここにはるかな目標としての桂離宮がある。>
訳者のあとがきにはタウトが同郷であるカントの墓碑銘「頭上に輝く星空、内なる道徳律」にいつも感動を受けたことがしるされている。
建築をめざして ル・コルビュジェ著 SD選書 1967
コルビュジェを画家というなら、それ以上に建築理論家といってもよい。住宅が住むための機械であるのなら、それ以上に芸術といえよう。コルビュジェの言葉には逆説が常に付きまとう。つまり二律背反的な要素に立脚しているのである。
<建築とは芸術的な事実、感動を起こす現象、構築の問題の外、それを超えたところにある。構造は「こわれないようにする」ことだ。建築は、「感動を与える」ためだ。建築的な感動とは、作品のひびきが、われわれが支配を受け、それを認め、それを讃えている宇宙の法則の音叉をあなた方のこころの中でならす時である。ある一定の比例が達せられると、われわれはその作品のとりこになる。建築とは「比例」であり、それは「精神の純粋な創作物」である。>
イタリアルネサンス晩期の建築家パラディオの古典的な形は否定したが、パラディオの比例はしっかりとコルビュジェの建築の中に生きている。ロトンダとサヴォワ邸の共通性、これを指摘したのは「マニエリスムと近代建築」のコーリン・ロウであった。
この著作には、36歳の若きコルビュジェのその後の人生の輝きをうかがわせる心意気を強く感じさせられる。
シェーカーへの旅 藤門 弘著 住まいの図書館出版局
*オーキューブ 1996.9 リビング・デザインセンターOZONE
この本を読んで得たことは”シェーカー”が現代のリビングデザインやライフスタイルに以外と太い血脈を持っていることを発見できたことである。シェーカー教団は18世紀末ころから北米大陸に活動を拡大し、集団で持久自活の生活を送ったキリスト教の一教団である。そこにある生活の理念や信条といったものは、素朴で田園趣味だが、アントニン・レーモンドや吉村順三の住宅の中にその精神のなごりがみられないであろうか。
この本の中に集会室の内部を撮った写真があるが、そこには頭にのせる帽子かなにかを掛けるように、壁に掛けられた木の椅子に気ずかされる。これを見てわたしは物と心との信仰を介した親密な関係について、感銘を受けたのである。新しいものを生み出す力のない時代といわれる現在、もう一度「手は仕事に、心は神に」「実用のない美はやがて不快になり、絶えず交換が必要になる」というシェーカーの格言を振り返ってみるのも有益ではないだろうか。
また、シェーカーの集団生活は、ロバート・オーエンやシャルル・フーリエなどの提唱した集住のかたちとも連携したものを感じさせる。今日的な意味でのコレクティブ・ハウジングやワーカーズ・コレクティブ的な生活のあり方とも親近したものがあるといってよい。この面から、現代のあるべきコミュニティのかたちを探るための貴重な歴史資料であるともいえよう。
「シェーカーへの旅」は、このようなシェーカーの人々や、生きられた過去の拠点施設をたんねんにたどった著者の、澄んだまなざしと、暖かい心にあふれた好著といえる。